Blog あきらめるブログ
「むにむに」

第30号 親として

2018年04月7日

皆様おはようございます。

今日は、「親として」というテーマで書かせていただきます。

発達凸凹学習塾86(はる)のオリエンテーションが始まってから、様々な保護者の方とお話する機会が増えてきました。
その中で、気になることがありました。
それは、「子どもの意見を尊重して…」「子どもに決めさせています」ということを言われる保護者の方が少なくないということです。

この言葉だけを聞けば、悪いことではありませんが、時と場合があります。
子どもに問題もなく、ちゃんと他の子と一緒な行動が出来ているのなら分かります。

以前からブログに登場しております社員(弊社で預かっている子)の保護者の方も、いつもこの言葉を言っていました。

その子は、小学5年生から不登校(引きこもり)でした。それでも、学力が高かったので、高校も地元の進学校へ入学しました。
高校入学後も不登校が続き、私は彼女の祖母に頼まれ、カウンセリングに通いました。

すると、彼女の父親が大阪からフリースクールの先生を呼び、私の行動(学校へ行かせようとしていること)に、真っ向から反対してきたのです。

私は、「彼女に、将来どのような道があるのかを話した上で、彼女の意見を聞くべきだ」と、反論しました。
これから先「高校卒業」と履歴書に書けない場合、仕事は限られてしまうことや、後悔してやり直すにしても、やり直しの方が大きなエネルギーが必要だと伝え続けたのです。

それでも男性2人は、将来の事も話さずに「どうしたいのか、自分で決めなさい!」なんて、馬鹿げたことを言い切っていました。

私は、学校に頼み、保健室で試験を受けられないかを、担任の先生に手紙を書くよう彼女の祖母に伝えました。
学校の先生と彼女の祖母が、いろいろ手助けしてくれたおかげで、彼女はやっと卒業出来たのです。

4年経った今、彼女に「高校卒業して良かった?」と尋ねると、「はい、ありがとうございました。」と笑顔で答えます。

「行く、行かない」を聞くのではなく、「行けばこうなるよ」という先の話が大切だということです。
もっと言うなら、ゴールも見せずに、答えを出せ!と言うのが間違いです。

発達障害の特徴の1つとして、物事の全てがぼんやりとしか認識できない事があります。
このぼんやりとしか認識できない子に、何を決めさせるのですか?
それは、保護者としての責任逃れとしか思えません。

しっかり行動が出来て、小さい事から1つずつやれる事を増やし、その自信がついてから「決断」というものをさせてあげて欲しいのです。

自分の決めたことが全て失敗に終わった時、劣等感を抱え、必要以上に無気力となってしまうケースも少なくありません。
私達は、その子その子の状態を見て、小さな達成感の積み重ねをさせていきます。

どうぞ、保護者の方が考えを広げ、お子さんを受け入れてもらえたなら、笑顔いっぱいの「むにむに」が生まれるでしょう。
たくさんの「むにむに」が生まれるように、私共も頑張ります。

 

飛騨高山の郷土玩具「さるぼぼ」をモチーフとした積木「つみぼぼ」です。

お気軽にご相談・
お問い合わせください